IE9ピン留め
学校なんて大嫌い
私は学校が嫌いでした。学校の先生はもっと嫌い。今でも学校の先生という人に会うと、ちょっと冷静でいられなくなり、その人の言動に対して皮肉で冷笑的な言葉が頭に浮かぶのを抑えられない。口に出したりはしませんが…。

私は学校では優等生でした。特に高校のときは無遅刻無欠席無早退、成績は常に学年トップクラス、別に必死になって勉強したわけでもなかったのですが。

先生たちはそんな私は「まったく問題のない生徒」とみなしていました。当たり前ですね。でも、青春の苦悩は抱えていました。漠とした不安、胸の奥に沸き起こる得体の知れない恐怖、コントロールの出来ない感情の波…それらのものとの対峙から逃れるために勉強をしていたような気がします。

私たちによくお説教をする若い教師がいました。今考えるとつまらない説教だったなぁと思いますが、それだけ言うのだから人格も優れているのだろうと思い、この先生に自分の苦悩を訴えたことがあります。

彼は困惑の表情を見せ、私から目を逸らし、「お前は勉強が出来るんだからそれでいいんだ」といいました。

これは、私が、学生であったそれまで、そして社会人に成長した今までで、人から受けたアドバイスにおいて文句なく最低のものと言えるでしょう。

彼は、成績の芳しくない生徒たちには親しく近づき、語りかけ、師弟の交わりを楽しんでいたように思います。しかし、私は「勉強が出来る」という学校におけるおそらくは普遍的な価値を実現しているがゆえに、師弟の交わりに価値なしとされていたのでしょうか。

成績のよい生徒たちが仲良しグループを作っていました。平均点○○点以上の者でなければ入れないとか、そんなくだらない基準で集まっていたようです。

彼らは自分たちの存在を誇示するように教室の一隅に陣取り、勉強の話ばかりしていました。彼らの成績をお互いに教え合い、「すげぇじゃん」「たいしたことねぇよ」と言い合って仲がよさそうでしたが、お互いの間に暗い敵対心が渦巻いているのは私の目には明らかでした。

ところが教師たちは彼らを、目を細めて「切磋琢磨」などという美辞を贈り誉めそやしていました。そんなふうに教師たちに見られることで悦に入る彼らを私は内心蔑んでいました。私はそうした彼らと比しても成績は上位でしたが、そういったグループにはいっさい近寄りませんでした。

学校というところ、そこで働く教師、適応した成績のよい生徒たち…みな「勉強が出来る」というおそらくは学校教育に普遍的に存在する絶対の価値に取り込まれてしまっているのでしょう。

私はそんな学校と先生が嫌いです。生徒たちにはほかの価値を伝えてあげなければなりません。

今思うと私は、教師たちからは可愛げのない嫌な生徒だったのかもしれません。でも、なんか孤独でしたねぇ…。心の奥ではいい先生、本当に尊敬できる師を求めていたように思います。そして確かに今でも追い求めています。

不思議なことに、私は今仕事で周囲から「先生」と呼ばれるのですね。そして初対面の人に私の職業を何だと思うかと聞くと、「先生ですか?」と言われるのです。セミナーの講師として教壇に立ち、多くの人に知識を伝え、教え導く…これ「先生」だよなぁ。

意識の上で嫌っているものは、じつは無意識のうちに強く憧れているものなのかもしれません。だから私は、学校にはいないものの、教壇に立ち、人を教え、先生と呼ばれる道を自然と歩んでしまったのかもしれません。

ならば、受け入れましょう。もうそれを否定して道を誤ることはしない。私はこれから日本一の先生を目指しましょう。では何の先生か…それはこれから。
# by japanfuzokuking | 2005-11-06 15:23 | 日記


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